茶陶研究会「唐津焼」
毎月第4土曜日に開催している「茶陶研究会」
今月から国焼についての講話がはじまりました。
まずは「唐津焼」
古唐津など骨董人気も根強く、魅力的な焼物ですね。
唐津焼の歴史や作風、それぞれの特徴など詳しく見ていくのですが、
一番「へぇ~!!!」と思ったのはこの茶碗

銘「子のこ餅」
この茶碗、唐津焼の中でも奥高麗と言われてる種類、
利休所持の筒茶碗三碗の内の一つといわれているものです。
細川三斎が「子乃この餅」と蓋表に書付しているそうです。
「子のこ餅」???
「亥の子餅」なら知っていますが、「子のこ餅」は聞いたことないのですが・・・
どんなお餅なのでしょう?と頭の中で想像していたら、
『源氏物語』の「葵の巻」に出てくるとのこと。
へぇ~源氏物語ですかっ
光源氏と紫の君の巻にて、亥の子餅が登場する場面があります。
亥の子餅は、亥の月(旧暦10月)の亥の日の亥の刻(午後10時頃)に食し、 無病息災のまじないとした中国の俗信に基づいて、平安時代に宮廷の禁裏にて行われたのが始まりと言われています。
物語はちょうど亥の月の亥の日の晩、亥の子餅が配られたようです。
源氏は惟光(これみつ)に
「餠をね、今晩のようにたいそうにしないでね、明日の日暮れごろに持って来てほしい。今日は吉日じゃないのだよ」とお頼みになる。
そこで利口な惟光は、”なるほど、承知しました”という風で、
「今晩の亥の子でない明晩の子(ね)の子餠はどれほど作ってまいったものでございましょう」と源氏に聞くと、
「今夜の三分の一くらい」と答える。
というくだりがあるのです。
次の晩に紫の君に届けられたお餅は、亥の日の次の日、子の日なので「子の子餅」と言われたようです
な~るほどっ!!
そして話は戻りますが、
細川三斎がこの筒茶碗を見て、
「ほーう、利休所持の筒茶碗三碗のうちの一つか
三分の一なら、子のこ餅じゃのう」(ちょっと脚色あり)と銘が付けられたといわれているものだそうです。
細川三斎様、さすがですぅ
おしゃれ~♪
と一人で盛り上がっておりました。
唐津焼の話、楽しかったです(^^)
そういうお話も織り交ぜながら、各焼物についてお話が進んでいきます。
次回は、7月26日(土) 高取焼・上野焼についてです。
どなたでも参加できる講座です。
ご興味ある方はこちらをご覧ください→「茶陶研究会」
今月から国焼についての講話がはじまりました。
まずは「唐津焼」
古唐津など骨董人気も根強く、魅力的な焼物ですね。
唐津焼の歴史や作風、それぞれの特徴など詳しく見ていくのですが、
一番「へぇ~!!!」と思ったのはこの茶碗

銘「子のこ餅」
この茶碗、唐津焼の中でも奥高麗と言われてる種類、
利休所持の筒茶碗三碗の内の一つといわれているものです。
細川三斎が「子乃この餅」と蓋表に書付しているそうです。
「子のこ餅」???
「亥の子餅」なら知っていますが、「子のこ餅」は聞いたことないのですが・・・
どんなお餅なのでしょう?と頭の中で想像していたら、
『源氏物語』の「葵の巻」に出てくるとのこと。
へぇ~源氏物語ですかっ

光源氏と紫の君の巻にて、亥の子餅が登場する場面があります。
亥の子餅は、亥の月(旧暦10月)の亥の日の亥の刻(午後10時頃)に食し、 無病息災のまじないとした中国の俗信に基づいて、平安時代に宮廷の禁裏にて行われたのが始まりと言われています。
物語はちょうど亥の月の亥の日の晩、亥の子餅が配られたようです。
源氏は惟光(これみつ)に
「餠をね、今晩のようにたいそうにしないでね、明日の日暮れごろに持って来てほしい。今日は吉日じゃないのだよ」とお頼みになる。
そこで利口な惟光は、”なるほど、承知しました”という風で、
「今晩の亥の子でない明晩の子(ね)の子餠はどれほど作ってまいったものでございましょう」と源氏に聞くと、
「今夜の三分の一くらい」と答える。
というくだりがあるのです。
次の晩に紫の君に届けられたお餅は、亥の日の次の日、子の日なので「子の子餅」と言われたようです

な~るほどっ!!
そして話は戻りますが、
細川三斎がこの筒茶碗を見て、
「ほーう、利休所持の筒茶碗三碗のうちの一つか

三分の一なら、子のこ餅じゃのう」(ちょっと脚色あり)と銘が付けられたといわれているものだそうです。
細川三斎様、さすがですぅ

と一人で盛り上がっておりました。
唐津焼の話、楽しかったです(^^)
そういうお話も織り交ぜながら、各焼物についてお話が進んでいきます。
次回は、7月26日(土) 高取焼・上野焼についてです。
どなたでも参加できる講座です。
ご興味ある方はこちらをご覧ください→「茶陶研究会」
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